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写真展「関西御苗場」

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過去ブログ「yacolate」からの再掲載(2008-10-09 09:32:49)

関西フォトギャラリー御苗場レビューを改めて、、。

このレビュー記事は「関西御苗場」が終了後、御苗場のオフィシャルページにて「関西フォトギャラリー御苗場レビュー」という企画の一環で公開される予定だ。
ただ、会期中に公表しておきたいので一旦このブログにて発表します。

関西御苗場→http://kansai-onaeba.com/
■全体雑感
全体を見通して選出した作家毎にレビューを書く予定ではあったのだが、まず最初にイベント全体として感想を述べたい。

まず、ゲスト出展アーティストブースが悲惨。まず、写真家以外が写真家に混じってアーティストとして写真を展示する事に疑問を感じる。
集客を考えたゲストへの出展要請なのかも知れないが、「写真の未来がここにある」とうたうイベントという認識でこのゲスト出展アーティストブースを捉えるとますます疑問が膨らむ。

もし次回の御苗場が開催されるのであれば、ゲスト出展アーティストは2、3名の気鋭の作家を登場させ、出展者に対して身近な目標になるようなブースにして欲しいと感じる。

出展者に関しては、展示をした事で満足な感じの人や、今回のイベントをひとつのステップに考えて、展示をしている人など、かなりテンションにバラツキが目立った。

もちろん、広く写真を楽しむ人に向けるという意味では成功なのかもしれないが、コンセプトが「自分たちの未来に向けて、感性という苗を植え自らの手で収穫を掴むフォトイベント」なのであれば、作品作りに対して気持ちのベクトルが参加者の半分以上が同じ方向を向いているべきではないだろうか。(もちろん大なり小なりはあるだろう。)

「ただ出展する」ことで満足をしてしまうようなベクトルの出展者と同じ空間に作品が並んだ事で、しっかりと作品作りをしている作家が今後出展しなくなっていくような気がしてならない。

同じCASOで開かれる「現代美術 インディペンデントCASO展」(同じような出展者を公募するイベント)では、出展者がレベルの差はあっても作品に対する姿勢は同じ方向を向いている。
広く門戸を広げてイベントを開催する事は必要だが、出展者に対して募集段階で作品作りに対するベクトルの方向をチューニングしていく必要があるのではないだろうか?

ましてや、雑誌「PHaT PHOTO」を編集する企業が主催者に名を列ねるのであればそのチューニングは容易なはずである。

さて、そんな中で気になった出展作家の中から、4名の作品を選出した。(ブース順)
108番 大地景子/119番 松木宏祐/180番 nomoto piropiro/146番 益本絵美花

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■出展作家レビュー
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■108番 大地景子

なぜか心惹かれる作品だ。
長編映画のラストシーン5分前を一瞬見せられた感じで、(分かりにくい言い回しですが、、。)はじめから見てみたい。最後まで見てみたい。そう思わせる。

ただ、全編を見る事が正解なのかどうかはわからない。
なぜなら、現段階で大地さんが「なぜ」この写真作品を撮影した理由が見えてこないからだ。

ある程度、作品の中から伝わってくるものはあるのだが、それは写真におさめられた風景という記号が「状況」を語っているだけで、大地さんがその「状況」を撮影した理由、作品化した理由、みんなに伝えたいという理由がにじみ出ていない。

それはもしかしたら大地さんと今回の作品が乖離しているからなのかも知れない。
一度、大地さんの身近なところにある「状況」を「物語(※)」に変えて、作品を作って欲しい。

しかし、イベントの中では派手な作品ではないのだが、印象に残った作品であった。


(※ここで出てくる「物語」とはシャッターを切ろうと思った切っ掛けであったり、作品を作ろうとした時の作家の思いの事を便宜上「物語」としています。
描かれるフィクションという意味ではありません。)

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■119番 松木宏祐

「この世で起きている事を全部見て、残しておきたいと欲求」と「すべての感情という感情を味わい、いつでも思い出せるように保存しておきたい」というコンセプトの作品。

社会の隅にあるような小さな出来事や普通視界から外している出来事を大事に拾い集める彼の写真に、鑑賞者が共感するのだろうか?
特に不特定多数を集める今回のような「御苗場」というイベントには正直不釣り合いだ。

しかし、その不釣り合いさ加減が最高にカッコイイ!!
そしてそのカッコよさとは別に嫌悪感をも抱かせる。これが凄い。松木君の写真に真っ向から対峙すると圧倒され、作品を見ていると凹む。

とはいえ、一緒に置かれていたファイルに比べるて展示されていた作品だけを見ると、公序良俗の観点からなのか当たり障りのない写真が多かったのが残念だ。できることならイベント実行委員との対決姿勢を明確にし、他の出展者作品の印象を消しさるくらいの嫌悪感が欲しかった。

(展示されている作品以外に彼のファイル作品にも目を向けてくれていた鑑賞者がいた事を願う。)

「青春」と言う言葉で片付けるのは勿体無いが、20代男性の「松木宏祐」がハッキリと見える。そしてこの写真群はエンドレスに増殖し続け松木君の人生と共に「青春」から次のフェーズに移行していくのではないかと思う。

楽しみでしょうがない。

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■180番 nomoto piropiro

この作品が生まれた背景の物語とその物語を表現するクオリティは凄く高い。
nomotoさんはこの作品を描く時に、赤外線撮影用に改造したデジタル一眼レフを使用している。(作品ファイルに表記されてました。)

技術力、仕上げのクオリティに裏付けされたこの作品だが、色彩がモノトーンだけあって目立たない。(2~3回会場をまわって凄さに気付いた。)
せっかくのこの世界観をnomotoさんの作品だけで埋めつくされたスペースで感じたい。

今回の作品のタイトルに付けられている「SIROCCO」は、元々アフリカから地中海を越えてイタリアに吹く暑い乾燥した南風の事をいうのだが、作品からは夏の暑い風を感じつつも、「ゾクッ」とする感覚があり、それがたまらなく良い。

ただ、この世界観の作品を今後生み出せるのかが疑問である。
「SIROCCO」が生まれた物語(※)と技術。このバランスは最高だが、この物語は完結してしまっているような気がする。

新たな「物語」と出会った時にまた別の技術で対応するのか?
今回の「物語」を深く掘り下げて、この世界観を広げていくのか?
技術を見せる為の「物語」や「フィクション」を作り上げるのか?

次の展開如何で真価が問われる。これもまた楽しみでしょうがない。


(※ここで出てくる「物語」とはシャッターを切ろうと思った切っ掛けであったり、作品を作ろうとした時の作家の思いの事を便宜上「物語」としています。
描かれるフィクションという意味ではありません。)

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■146番 益本絵美花

今回の展覧会では1点ものとしては圧倒的に大きく、他の作品とは異彩を放っていた作品。
「Deep Blue」と題された作品の漆黒と青色のコントラストに吸い込まれそうになり、同じような大きさの作品をもっと見てみたいと感じさせてくれた。

他にもデジタル加工された作品はあったが、「撮影→加工」というのが多い中で、「画く」という単語がピッタリの作品ではないだろうか。
また、抽象画のようだが、写真を使う事でディテールが表現されており、色彩も含めすべてが美しく感じた。

「写真表現でキレイなものをキレイに撮る」という事が、ネイチャー写真やクローズアップ写真を中心にあるが、個人的な感想としては、写真より自分の目で見たほうが感動するだろうと思ってしまう。

しかし、益本さんが「画く」写真の美しさは、彼女を通してしか見えてこない世界であり、重ねられたレイヤーの中に心象風景が潜んでいる。

ここに美しさを感じ、作品を目の前にすると圧倒されてしまう。

ただ、今後、写真表現という国内の枠組みの中ではなかなか評価されないような気もする。
それは日本独自に発展してきたスナップ写真やドキュメンタリー写真の中では「文化」という側面が評価の対象になるが、写真を「美」として評価する文脈が存在しないからだ。

また、いわゆる「美術※」として評価を得る為にも、彼女だけが見える景色を今以上に追求していく必要があるように思う。

(※ここでいう美術には「現代アート」を含まないものとする。)

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